研究者インタビュー
辻󠄀 敏夫
痛みを測りたい
 私たちが進めている血管剛性測定の研究開発は、「痛みを測りたい」という思いからスタートしました。  痛みは誰もが日常的に経験する感覚ですが、痛みの強さは測ることができません。血液検査の結果のように数字で表すことも、「1時間前より2倍も痛くなった」という表現もできないのです。
 痛みのある病気を診断・治療する医師は、患者がどれほどの痛さを感じているのか、痛みは強くなっているのか、収まってきているのか確認することができませんし、痛みを感じている本人も、自分が感じている痛みが他の患者さんと比べて強いのか弱いのか、耐えるべきか、助けを呼ぶべきかわかりません。「痛い、痛い!」と言っている患者さんの隣で黙っている患者さんのほうが、実はずっと強い痛みを感じているということも少なくないでしょう。

痛みは血管を硬くする
 測れなかった「痛み」を測る鍵は血管の硬さです。
 私たちの血管は、リラックスしている時は柔らかく、痛みや緊張を感じている時には硬くなる仕組みを持っています。恐怖やストレスを感じた時に指先が冷たくなった経験があると思いますが、あれは末梢血管が硬くなって血の巡りが悪くなった結果なのです。
 血管は筋肉でできています。筋肉といっても、自分の意思で動かすことはできない不随意筋であり、自律神経によって支配されています。緊張状態で交感神経が優位になると血管の壁(筋肉)は硬くなり、リラックスすると優位になる副交感神経の刺激を受けると血管の壁が柔らかくなるのです。
 血管の硬さは緊張の強さや痛みの大きさを反映しますので、これをリアルタイムに測ることができれば、痛みを数値化できるのではないかと私たちは考えました。

硬さは圧力と変化量から
 血管の硬さ(血管剛性)を測定する原理はとてもシンプルで、血管にかかる力の大きさと、血管の壁の変化の大きさから計算することができます。
 血管にかかる力とは血圧です。最高血圧・最低血圧ではなく継続的な血圧を測るには特別な血圧計が必要で、現在ある装置は少し高価ですが、遠からず手頃な価格の装置が普及すると考えています。
 変化量は血流量を測ることで算出できます。血圧に押されて血管が太くなると、血流量が増えますから、血管が柔らかければ血流量の変化も大きいというわけです。これは、血液によく吸収される波長の光を手のひらや指にあてて、反対側に透過した光の量を測ればわかります。計測器も、光を発するLEDと光を検出するフォトダイオードで比較的簡単に安価でつくることができます。
 測定値が得られたら、血管剛性値はスマートフォンやノートPCでリアルタイムに評価することが可能です。
 重要なのは、血圧も血流量も針を刺したり電気を流したりすることなく、非侵襲的に測定できること。患者さんに余計なストレスを与えることなく痛みを測定することができます。

モニター調査を検討中
 血管剛性を診断や検査に使う前に解決すべき課題もあります。ひとつは年齢や性別、体質などによって痛みの感じ方に個人差があること。もうひとつは、ずっと痛みを感じる慢性疾患の患者さんの場合、基準となるリラックスした状態の値が採れないことです。
 現在、血管剛性を測定できるウェアラブルデバイスのプロトタイプを開発中ですが、これが完成したら、モニターを募ってデータを集積したいと考えています。性別年代別のデータをとることで、患者さん本人のデータをとれなくても、属性の似た人のデータを参考にできます。
 モニター調査を通して、測定装置や連動させるアプリの改善も図れますし、血管剛性のデータを実際に集めてはじめて見えてくる使い道もあると期待しています。

24時間ストレスチェック
 診断などで痛みの強さを測定する用途のほかに、ウェアラブルな装置に血管剛性測定機能をつけて日常的に痛みやストレスをモニタリングできるようになります。
 痛みを感じる病気で治療・療養中の患者さんや、認知症などで意思疎通が難しくなった高齢者に測定器を装着してもらうことで、痛みを感じる機会を減らしQOLを向上することができます。
 また、うつ病など気分障害の患者さんは症状に波がありますが、血管剛性測定でストレス度を評価し、症状悪化の徴候を早めに察知すれば、休息や受診を促して悪化を防ぐことができるでしょう。
 健康な人にとっても役立つツールになります。誰もがストレスと無縁ではいられない社会ですから、リフレッシュや行動変容を提案してくれるアプリがあれば、助かる人も多いはずです。自動車の運転や様々な機械の操作を行っている時、過度の不安やイライラは事故の原因になりますから、血管剛性測定でネガティブな心理状態を察知して気分転換や休憩を奨めるという使い道も考えられます。職場などでスタッフのストレス度を測定し、問題が生じる前に手立てを打つこともできるでしょう。

動脈硬化の予防も
 日常的に血管剛性をモニタリングして動脈硬化の予防に役立てようというアイデアもあります。動脈硬化とは加齢や生活習慣の影響で全身の血管が硬くなることですが、動脈硬化にいたる要因のひとつに血管内皮機能の低下があります。
 血管内皮は血管を守るために役立つ様々な物質を放出しているのですが、そのなかのひとつである一酸化窒素(NO)は血管を柔らかく保つ働きがあります。血管内皮がNOなどを放出する機能が衰えると動脈硬化が進行すると考えられています。
 私たちは、血管剛性を継続的に測り続けることで、この血管内皮機能の低下を発見できると考えています。動脈硬化を起こした血管をもとの柔らかい状態に戻すことはできませんが、衰えた血管内皮機能は適度な運動を行うことで回復させることができるとわかっています。つまり、動脈硬化が起こるよりもずっと前の段階で、予防のためのアクションを起こすことができます。
 さらに、血管の硬さとともに粘弾性を算出し、血管の健康状態を表す指標のひとつとして提示するための研究も並行して進めています。

自律神経の不調を知る
 血管は自律神経(交感神経)の働きによって硬くなります。そこで、血管剛性測定によって自律神経の働きをチェックするというアイデアもあります。自律神経失調症という病気がありますが、これは様々な原因で自律神経のバランスが崩れたり、反応が鈍くなったりするものです。自律神経の測定方法には様々なものがありますが、刺激に対する血管剛性の変化からも、自律神経の働きぐあいを確認することができます。
 先に述べたように、血管剛性は非侵襲で簡単な装置で測れるので、患者さんの負担を少なく、自然な条件で測れるというメリットがあります。
 血管や循環器系は健康の源ですから、ほかにも様々な病気の徴候を捉えることができるのではないかと私たちは期待しています。近い将来、誰もがスマートウォッチを装着して心拍数や血圧などを日々、チェックするようになるでしょう。血管剛性も一緒に測れる装置の普及をめざしたいと思っています。

製品開発やサービス向上にも
 感性COIでは、町澤まろ先生たちのチームが「感性メーター」の研究開発を進めていて、脳波計でワクワク感をリアルタイムに数値化できるシステムの開発に成功しています。感性メーターも様々な使い道がありますが、新製品の開発やサービス改善の取り組みにおいて消費者の本音を知ることができるという期待を集めています。
 血管剛性測定はストレスや不安をリアルタイムに測定することができますから、同じように商品開発やサービス改善の取り組みで活用できると考えています。  たとえば、意見するほどではない小さな不満や使いにくさを定量化することができるので、顧客満足度の向上に大きく貢献できるでしょう。職場などの安全性向上や環境改善、教育効果や技術習熟度の測定などで、威力を発揮するはずです。
 感性メーターをはじめ、感性COIの他のチームが開発するツールと補い合える部分も多いと思いますので、連携しながらよりよいツール、システムを仕上げていきたいですね。

高校時代に出会ったサイバネティクス
 私は高校生のときにノーバート・ウィナーが提唱したサイバネティクスに魅了され、サイボーグの研究・開発を志しました。大学に進んだころは、まだ誰もそんな研究をしていなくて、どこで学べるかもわかりませんでしたが、ロボット工学の道に進み、ほどなく義手の研究に取り組むようになりました。
 義手の開発には整形外科をはじめとして様々な科の医師との連携が必要です。そんななか、麻酔科の先生から「痛みを測りたい」という話を聞いたことが、血管剛性測定に取り組むきっかけになりました。
 血管は筋肉でできていると説明しましたが、義手の研究で人間の筋肉と神経の働きについて工学的な視点で研究していたので、血管剛性を測るというアイデアに自然に取り組むことができたように思います。
 今も、義手の開発は続けていますし、他にも人の体の仕組みに工学の視点や技術で切り込む様々な研究を行っています。私の専門を問われたら電気工学、ロボット工学という答えになりますが、医学と連携した研究がほとんどで論文の投稿先も医学系の学会、雑誌になっています。結果的に高校生のときに志したサイバネティクスに近い分野で研究できていることになりますね。
 血管剛性という物理や電気の知識で測れるデータが、人の心をつかむための架け橋になることを確信して、これからも研究を続けていきます。

広島大学 大学院先進理工系科学研究科 生体システム論研究室
私たちは、生体の秘密に迫るというサイエンティストの目と人間の役に立つ機械を開発するというエンジニアの目という2つの目で、生体機能の特徴を理論・実験の両面から工学的に解析し、生体システム特有の新たな原理を見出すこと、さらにその原理に基づいた新しい医療福祉機器、産業機器を創出することを目指して、日々、研究に取り組んでいます。また、電気・電子・システム・情報工学を基礎とした生体システム論に関する深い知識を有し、新しい原理の追及や新分野への展開を可能にするような創造性を備えた人材の育成を目的としています。


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